「これまでの苦労話し、どうやったらこんなに極めることができるのか
日記にしてもらえるとうれしいです。」
というメールをもらいました。全然極めてないけど、何となく書いてみます!
国語が苦手で、文章にまったく自信がないですが汗
苦労話というか、洋裁にかかわってきた半生をまじえて書いてみます。
作文が苦手で(しつこい
小さいころから手先が器用で、
縫製について、出来なくて苦労したということはないです。
でも、極度のおっちょこちょいなので、
前後間違って付けた!とか 裏表逆!とか 輪断ちを切り離した!
とかはしょっちゅうでした。
でも失敗しても、特に気にすることもなく、いつものことだし、
器用なのでさっさと解いてやり直します。無駄にポジティブでした。
そういえば、裁断の失敗で同じ布を3回買いにいったことがあります笑
小6の時ですが、ヨークの輪の位置を間違い30cm買い足し、
襟をミスって20cm買い足しした時は
お店の人に「また~?w」と笑われました。。。
母親のスタイルブック(文化出版)を見て、新聞紙で型紙を作り
シャツカラーのブラウスとかも縫ってました。
今思うと、小学生でよくやってたな~と思います。ミシンが好きでした。
高校の時は、既製品ワンピースを布に当てて裁断したりして、
オリジナルで変なものを作ってたりしました。
母親がそれを見て、この子にはちゃんと洋裁の基本を教えなければいけないなー
と、思ったそうです。
視力がよく、高卒まで2.0余裕でありました。(さすがの田舎育ち)
なので1mm以下の細かいとこも良く見え、ずれないように縫っていた気がします。
視力が落ちてきた今、目がいいってことは大事だなと思います。
高校卒業してブンカ(文化服装学院)に行かせてもらいました。
授業料高かったです。
宿題がめちゃめちゃ多く、徹夜の人もよくいましたが、私はテキトーにこなし
アルバイトも掛け持ちでしていました。
ブンカでは
洋裁の基礎と、オートクチュール(一点物)について学びました。
ブンカ卒業後は田舎に帰って、縫製工場(60-70人規模 女性ブラウス)に就職しました。
縫製工場というところは、
袖付けだけプロ ロックミシンだけプロ
えり作るのだけプロ えり付けるのだけプロ の主婦が集まっています。
なので、一応何でも出来る私は、裁断場から事務所の手伝い、
ミシン、アイロン、インターロックなど人手が足りないところに
助っ人として動き回っていました。色々経験できて楽しかったです。
ここでは、
既製品の裁断、縫製、出荷や事務的なことを学びました。
縫製工場はつぶれました。
今度は家族で経営している縫製工場(10人 男性シャツ 高級ブラウス)に行きました。
ミシン係の仕事をしていたけど、飽きて
家で丸縫い(1枚まるまる仕上げる)のできる内職にかえてもらいました。
ウールのブラウスやシルクシャツなど色々縫えたけど
さすがに内職はとても安く、期限もシビアで辛かったです。
この縫製工場も閉業するというので、借りていたミシンとインターロックを
処分価格で譲ってもらいました。
つまらない縫製工場だったけど、
工業用ミシンと工業用インターロックが自分のものになりました!
一番の収穫かも。
洋裁の基礎、既製品のコツ、ミシンを手に入れた私は
ここから自由に洋裁を楽しんでいきます。~続~
続き 書きました → こちら
半生リクエストしたものです。とても楽しく読まさせていただいてます。
続きも楽しみ(^.^)
工業用ミシンを格安で手にいれられたことがよかっですね。
それがなかったら今のluuさんはなかったかもしれないですね。
学校で学んだことも大きかっんでしょうね。
動画のふっくらしたキルトバッグを最初見たときはあまりの手際のよさに
ぶったげました。なんだーこれはっ笑 って。手品かぁーって